どんなに努力しようとも、
どんなに成功しようとも、
どんなに失敗しようとも、
どんなに挫折しようとも、
どんなに恋愛しようとも、
どんなに失恋しようとも、

それでも世界は周ってますよ。(何様

自分だけ特別だとか考えるのは勝手で寧ろ疲れる思考根底かと。中学はいるまで、俺は交通事故に会った経験を自分やごく一部の人間のみが有する特別な経験だと思っていた。

小学校が少人数で1クラスしかなくて40人だったせいもあるが、世間知らずもいいところだった。そんなのは自分だけじゃないし、寧ろそれ以上の経験だってゴロゴロしてる。世界は広い。

ネット上の世界はもはや世界の広さと同化しかけている。けれどそこには「相手の顔が見えない」罠がある。

ネットと現実は区別されるものである。

電話より、直接会って。

などという言葉があるように、ネットでは顔が見えないけど、現実会話には常に対顔が当然というか当たり前である。

相手の顔が見えないと言う事は表情、つまり心、感情が見えないし、その分普段いえないことも、口から出す、というよりもキーボードで打つほうがより容易であるがゆえに言えてしまう。

これが知らない人、つまりネットの世界だけでの付き合いだと、事後処理などどうとでもできるが、内輪だとそうはいかない。飛び火やそもそも普段の生活はどうしたものか。うっかりキーボードを叩いてしまおう物ならばあっというまに状況は変る。

自分の打った内容がどれほどの影響を相手に対し有しているのかがその場でわからない。会ってみたら向こうは実はそうとう怒っていた。なんて事にもなりかねない。

元々そういった表現を使わなければ別段問題はないとも言えるが、キーボード、ネット上だからこそ。そういう事態を引き起こす。

特にチャット上などでは、その当事者同士でしか内容把握がなされていないので、周囲の人にはちんぷんかんぷん。周囲の助けなしで解決することになる。

今まで問題誘発について書いてきたが、問題事後はどうするのか。

ネット上の問題では、対顔問題よか解決しやすいのも事実ではないかと思う。

今は「w」と言った表現が使われているが、これを使うことで、苦笑や、ごまかし、照れなどを暗黙で使える。現実で「ダブリュー」なんて表現はない。真っ向勝負だ。

真っ向の分、リスクの大きさの見返りは大きい可能性は高く、それこそ一生の友情が「雨降って地固まる」な感じでなるかもしれない。

ネット上ではこれまた皮肉な事に顔が見えない分、謝りやすい。相手の顔色を伺う必要を無くす。恐れもない。喧嘩もね。

ネットの場合は泥沼化しやすいのは俺の経験談。

ネットでのやりとりは社会の表に出ないことがほとんどで、前述した周囲は知らない。そんな状況が大抵だ。

だから、実を結ばない。内容のないもの。と化すのが関の山である。

また、PC依存は社会的に見ても何をどういおうと世論は依然として低い位置に見られている。PCオタクなどという言葉が存在するように。

だから、脱PCや、ネットやめる。とかそういう方策を立てる人もいるようだが、それはまた別問題であろう。

ネットは確かに危険や問題も多いが、情報の宝庫でもある。PC活用も社会では欠かせないものである。

疲れたので続きは明日。

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